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風性常住Vol.16 私も“終活”の言葉が目前となりました

2024年02月21日

大正14年生まれ、98歳の夫の父が他界しました。いよいよ、私たち夫婦の両親4人、この世を去りました。あまり考えていなかったけど、“親”を亡くすことは、次は自分の番だな、って思います。

そして、仕事はいつまで続けられるかな、とも考えます。というより、“仕事”を辞めたら何をしようか、と考えます。これを考えるきっかけは、父の件とは別に、昨年末、法人立ち上げから、いっしょに働いてきたメンバーの一人が、年齢を理由にいよいよ退職されたことにも起因します。「仕事に行かなくなるって、どんな気持ち?」と彼女に訊ねると、「ちょっと寂しい・・」と言っていました。「でも、毎日走っているから(彼女は、フルマラソンをする人)。走れなくなるまで走る」と。なるほど、趣味を極めるわけだ・・

私は、2人目の子どもが生まれて4年位、専業主婦の時があったけど、外で仕事をしない時は、私の人生では、あまりなかったのです。というより、“専業主婦”の4年間ですら、“専業育児”の時、と自ら言って、“専業主婦”にだけはなるまいと考えていた人間です。

シゴトをしない時が考えられない自分がいるのです。しかし、確実にその時は訪れます。その時、何をしようかな・・想像するに、きっとセコセコと、シコシコと、ほっとハウス星ケ谷の“歴史”ナンゾを振り返った文章なんかを書き始めるような気がします。私の文才はたいしたことないので、たいした“歴史”は書けないとは思いますが、私の中の“ほっとハウス星ケ谷”は、やはり輝く“小さな星”に間違いありません。

私に最後の仕事をくれた“ほっとハウス星ケ谷”に乾杯(酒は飲まないけど)!(原口洋子)